A子さんは
もの心がついた頃から
母親の記憶はあるが
父親のそれは 全くない
親類が持ち込んだお見合い話が縁で
A子さんのご両親は 出会い
永遠の愛を誓い 結ばれた
決して裕福とはいえない収入から
これから産まれて来る
新しい命の将来を考え
倹約した生活が始まった
新婚当初の父親は 優しかったそうだ
だが しばらくすると
職場や近所での外面は「いい人」だが
内側は真逆の本性を現した
母親が 栄養バランスを考え
心を込めて作る弁当は
「みすぼらしい」と云い
会社へ持参せず
やりくりして作る夕飯は
「おかず」を見て気に入らないと
生活費が入った財布を片手に
ぶらりと外出し 毎晩のように
酔って帰宅し
仕事が休みの日は
競馬、競輪、麻雀・・・
やがてA子さんが産まれた
子どもが生れれば
父親としての自覚も出来
変わってくれるだろう・・・
という願いは叶わず
酔って帰ると
夜泣きをするA子さんに怒鳴りちらし
さらに大声で泣くと
暴力を振るおうとするので
母親は身を挺して
A子さんをかばった
ある日 母親は
「離婚する」ことを決断し
「シングルマザー」として
生きる道を選んだ
母親は 昼間の仕事を見つけたが
その収入だけでは生活が苦しいので
夜は 濃い目の化粧をして
肌の露出が多い服装で
知人の飲食店で働いた
遠足の日に
二日酔いで起きれず
弁当を作らなかったり
授業参観日に
タバコの臭いが染みついた
髪と服で教室に来たり
そんなことが嫌で嫌で
喧嘩して反抗したことも
たくさんあった
でも
一生懸命に働く母親の後ろ姿を見ると
反抗は一時的なもので終わった
時は過ぎ
沈丁花の花が 春の香りを運ぶ頃
成長したA子さんは 高校に入学し
すぐに家計を助けるために
アルバイトを始めた
桜の花が散り 新緑が芽吹く前の
「朧月夜」の日 A子さんは
初めてのアルバイト料をもらった
アルバイトを始めて 日も浅いので
わずかなアルバイト料だった
けれども
本当は 和菓子が好きで
倹約の為に 我慢している母親に
帰宅途中 閉店間際のスーパーに寄り
値引きシールが貼られていた
「きんつば」をふたつ買った
帰宅すると
母親は 夜の仕事から
まだ帰っていなかった
テーブルに「きんつば」ふたつと
「初バイト料をもらったので食べて」と
感謝の気持ちをしたためた手紙を置き
寝た
母親のすすり泣く声で目が覚めたのは
午前3時を過ぎた頃だった
さらに時は過ぎ
A子さんは結婚し 子どもが生まれた
その年の暮れ 母親は急逝した
母親の位牌の前には
ときどき
「きんつば」が供えられている
おしまい